東日本大震災の前後に起きた不思議な体験談

不思議な体験談

間もなく東日本大震災から6年が経ちます。あの巨大地震は私たちに様々な試練と自然の怖さを教えてくれました。
あの日の光景が今も鮮明に覚えている人も多いのではないでしょうか。
あの地震には、各地で様々な予兆現象があったと思いますが、 私の周りでもありました。

1か月前の2/9、亡くなった母方の祖父のお通夜の為、前のりしていた母と、当時妊娠5か月だった妹から連絡がありました。

「仙台沖震度5だって。なんか不気味な感じ。長く揺れてた。今にドカン!とくるよ。宮城県沖から30年経つから」
母も父も仙台出身。前回の地震の時、うちの家庭は仙台を離れていました。

私はその言葉を聞き、母方の祖父が亡くなる直前、私の夢枕に祖父母が現れ、
「気いつけんしゃい」って言ってたのを思い出していました。
幼少期から不思議な現象を体感していた私。仕事が忙しくなり家族と仙台に墓参り行く事ができない状況が続いていると、夢枕に祖母が出て呼ぶという現象を何度か経験していました。

またいつものように、亡くなっていた祖母が墓参りに来い!と言いに来たのかと思って
「ばあちゃんが呼んでる。じいちゃんの通夜ついでに墓参りしないとね」って母と話していました。

翌日私たちも合流したんですが、いつもの定宿が満室、仙台駅周辺も満室で、親戚が用意してくれたホテルに泊まりました。そこは父方の実家近く、仙台空港の近くでした。

葬式後時間があったので、4~5年ぶりに父の実家へ。幼少期、姉の世話と仕事で忙がしかった母に替わり、私の世話をしてくれたいとこ夫婦にも会えました。父の兄弟が多く、一番したの父といとこはそんなに年が離れていないのです。

久し振りだったので、実家近くを何気なく歩きたいなと思い、写真を撮りながら海を見に行ったのです。

実家の家屋も懐かしくて、いろいろ見てまわってました。
そして、あの日。
仕事場で見た津波の光景。父の実家が波に飲まれていく姿を見て、信じられない気持ちでいっぱいでした。

母の言葉が現実になった。
祖父母の言葉はこの事だったの?

そして、皆の無事を祈るしかありませんでした。
1週間後、いとこの奥さんが遺体で見つかりました。
私の母替わりでした。
震災の前の年、妹の結婚式で私が撮ってあげた写真が遺影になりました。
あの時、
「おばちゃんがいい人見つけてあげる。でも結婚式まで生きてらるかなー。なんかなんとなく死んでいそうな気がするから、天国から見守っているかもね」と。
まさか、本当に亡くなるなんて。

流された実家で唯一残ったのは、玄関前のタイルと父方の祖父の位牌。
なんと位牌は流され流れ着いたのは警察署の前でした。商魂たくましい祖父らしいなと思いました。

1か月前、泊まったホテルも3階位まで水が上がりました。
あの時このホテルに泊まったのは、偶然なのか、それとも何かに呼ばれたのか。
実家の最後の姿を見せるために運命めいたものが働いたのかもしれません。
ちなみに実家が流された瞬間の影像があるテレビ局の報道特番の記録に残っていました。