夢を通して最期に近しい人に会いに来たという、お父さんの話しを聞いたときのこと。今は亡き重病のお兄さんを持つ父さんが見たという、お兄さんが息を引き取る直前の夢でいろんな意味距離的なことまで神妙に現れているような内容と、それに因んだ血縁関係の不思議な出来事。
私にとっての伯父さんでありお父さんにとってのお兄さんが肺ガンで危篤状態だったときのこと
九州在住の伯父さんにはもう余命わずかという究極のときが近づいていた。伯父さんが息を引き取る前夜、お父さんが神妙な夢を見た。
お父さんの夢の中で、首都圏に住む私たち一家のところへ九州から伯父さんが遠路はるばる尋ねて来たものだから、たまにしか直接会うことのできない距離的なことからもせっかくだからというニュアンスでお父さんが伯父さんに「兄貴、もう一泊うちに泊まっていきなよ」と何度も言ったという。
だけど夢の中で伯父さんはそれに対して頑なに応じようとせず、「いや、もう帰る。もう帰る」と言って去って行ってしまったとのこと。
そしてお父さんがそんな夢から覚めた翌朝、伯父さんが息を引き取った連絡が九州の実家の方から入った。「やっぱり最期に逢いに来たんだよ。」と言っていたお父さん。
お父さんと伯父さんは幼少期から気心が知れていて
とかく気持ちの通い合った兄弟仲だということは娘の私にも当時からよく伝わっていたことからも、確かにそんな間柄や絆があるからこそ伯父さんは自分の最期のときにお父さんに会いに来てくれたとしか思えない。
そして夢の中でお父さんが引き留めたにもかかわらず伯父さん自身ただただ帰る帰ると言って止まなかったのは、魂の故郷の方に還ると云っているかのようにも聞こえる。
それに距離的なことも、実際の私たちが住む首都圏と伯父さんの住む九州という物理的な距離感以上に、魂の還るところが天国というところだとすればその場所と生前の住処である現世との間にある、はるかに離れた距離の方を伝えているようにも思えた。そしてそれを反映するかのように受けた、翌朝の訃報の電話連絡。
残念なことにガン家系である私のお父さんの血筋は、伯父さんが亡くなる前、おじいちゃんもガンで亡くなったが、そのときもやっぱり予感のようなものはあった。
訃報連絡を受けたときにお父さんと私は何かの用があって
一緒に車の中にいたのだが、おじいちゃんの生死をめぐって血縁関係にあるお父さんと私がただ車内で言葉も少なく、じっと何かを感じ取るかのようにしていたというか一言では言い表わせないような空気感の中にいた。
そんな空気を破るように突然お父さんの携帯が鳴り、来た、と2人して思った予測は当たっていておじいちゃんの逝去を知らされたのだった。
因みにおじいちゃんの命日は先に亡くなったおばあちゃんと同じ日ということから、葬儀の日は親族みんなしてこれはたまげたという感じで、「おばあちゃんがおじいちゃんを呼んだんだな」と、夫婦で同じ命日になるなどそうそうない、信じられないような現実からもそうとしか思えずにいた。
夢を通して最期に会いに来た伯父さん。翌朝の訃報連絡。神妙な空気感と電話。おじいちゃんとおばあちゃんの同じ命日のこと。
血縁だからこその濃い絆というものは、何かと理屈を超えた不思議なことをもたらすのだなと、驚いた出来事であった。
血のつながった者同士がみんなで生死に直結する問題に向き合っている只中だからこそ、血縁関係の不思議を思いがけぬ形で垣間見た出来事でもあった。