これは、私が小学生の時の話です。
当時、片親だった私の母親が再婚し、5年ほど暮らしていた祖母の家から3LDKのマンションに引っ越すことになりました。
新しい父親は厳格ですが良い人で、転校して私は新しい生活をすることになったのです。
が、そのマンションに越してきてから物凄く夢見が悪くなり、毎日のように追い掛けられる夢や、夜中に人が入ってくる夢を見ました。
不気味に思いましたが、母親がオカルト系の番組が大好きで、よく心霊特集を見ていたので、その影響で夢見が悪いのだろうと子供ながらに思い、気にしないでいました。
そんな生活が一ヶ月ほど続いたある日の事、学校から帰宅した私は突然、39度以上の熱が出てリビングで倒れたのです。
母親に背負われて病院に行きましたが、インフルエンザではなく風邪と診断され、熱が続くようならもう一度来るように言われて薬をもらって帰宅しました。
看病のために、普段は玄関近くの子供部屋で寝ていた私を、この時は母親が私の様子を見るために、リビングのすぐ隣にある和室に布団を敷いて寝かせたのです。
夕方、夕食の買い物に行った母を見送り、私は下がらない熱に布団の中で呻いていました。
すると突然、天井裏から『コンッ』という音が響いたのです。
何かと思った次の瞬間、突然黒板を爪で引っ掻いた時のような大きな耳鳴りが鳴り始め、体が完全に動かなくなりました。
よくホラー物の再現映像を見ていた私は『これが金縛りか!本当に体が動かないんだ!』と朦朧とした意識の中で思いました。
そうした中で、今度はドタバタと上から足音がし始めます。
上に小さな子供が住んでいるので、たまに足音くらいは響いたのですが、それとは音の大きさが違うのです。
さっきのコンッという音といい、その音はあからさまにマンションの『天井裏』から響いているのです。
更に天井裏から仏具の鈴の音や、ガラスの割れるような音までし出して、天井裏の足音は、私の布団をぐるぐる回り始め、騒音が遊園地のパレードの様に響き始めました。
頭がパニックを起こし始めたその時、パタンと全ての音が止みました。
終わった…?と思った次の瞬間です。
『ふふっ…ふふふ…』
耳元で、掠れた女性の声が響いたのです。
途端に再開される騒音のパレード…もう頭がおかしくなりそうです。
逃げ出したいですが全く体が動かない、心の中で『誰か助けて!』と強く念じました。
すると、突然頭の後ろに人の気配がしました。
騒音は止み、首だけが動かせるようになりました。
母親が帰ってきたのかと思い、見上げると…そこには、軍服を着た若い男の人が立っていたのです。
その人は、私の視線に気づくと優しく微笑んで、私を見つめてくれたのです。
本能的に私は『ああ、この人が助けてくれたんだ』と思い、安心して瞬き一つした瞬間、その軍人さんの姿はそこには無く、周囲は先ほどまでの騒音が嘘のように静まり返り、金縛りが解け、体が動くようになりました。
ちょうど母が帰宅し、事情を説明すると『幻覚でも見たんだろう』と言われました…ですが、私にはそうは思えませんでした。
先程まで39度もあった熱は平熱まで下がっており、きっと悪い物が取り憑いて悪さをされていた私を、あの軍人さんは救ってくれたのだと、子供ながらに確信していたのです。
この後も何か不思議なことがある度に、この軍人さんに私は出会うことになるのです。
そんな事が何度かあり、大人になったある日、私は祖母の家に遊びに行ったのですが、その時に何時もは閉まったままの小さな仏壇が開いているのに気付きました。
中にあったのは小さな位牌と、写真…写真の中のその姿は、何度も助けてもらった軍人さんのものでした。
祖母にこの人は誰かと聞くと、戦争に行って若くして戦死した祖母の兄だそうです。
祖母に、時々変な事がある度にこの人が現れて、助けてくれることを伝えると、祖母は感慨深そうに『吉松(祖母の兄の名前)が守ってくれてるんだねえ』と言いました。
…そう行った祖母も今では亡くなり、兄の吉松さんの近くに眠っています。
私は吉松さんに感謝し、今でもお盆には祖母と吉松さんの眠る墓に手を合わせ、時たま靖國神社に行っては、吉松さんを始めとした、英霊となり、今の日本の礎となった先人の方々に感謝と鎮魂を祈りに言っています。
余談ですが、今でも時たま、吉松さんが夢枕に立つ事があります。
彼はいつもこちらを見て微笑むだけなので、いつか夢の中で話が出来たらいいなあと、思っています。