小学生の頃から22才くらいまでずっと飼っていた猫の話です。亡くなってから毎年お盆は会いに来てくれるようです。私は姿は見えませんが茶色の猫が通ったと旦那が教えてくれて、温かい感触が伝わるのであの子が来てくれたんだなぁと嬉しくなります。
その子はペルシャ猫のちゅちゅ(♂)といい小学生から22歳までずっと一緒にいてくれました
私は長子の長女だからか昔から意地っ張りで負けず嫌いなところがあり、人間関係の構築が苦手でしたがそんな弱いところを絶対誰にも見られたくないという性分でした。
泣きたい時も自室に籠って我慢していましたが、なぜか普段はクールな対応しかしてくれないあの子がそういう時には必ず私のそばに来て足元に擦り寄ってきてくれました。その時は思いっきり抱きしめてスリスリしても許してくれまして私はその子がいるだけで百人力になったかのように元気になりました。
そしていつからかちゅちゅのことをお兄ちゃんか二人目の父親ができたかのように慕っていて、周りからも依存しすぎと若干引かれるほどでした。仕事を始めて何年かして、やっと社会にも慣れたと思った頃に猫エイズが発覚し、ちゅちゅは外で遊べなくなりどんどん痩せていきました。
最期の日は仕事から帰ると私を待っていたかのように私が帰ってすぐ亡くなりました。
ちゅちゅを昔から頼りにしていましたし亡くなってからもしばらくはわんわん泣いていたので余計に心配かけてしまったのかもしれません。
今の旦那とは高校からの付き合いで恋人になってから
稀に実家にも来てくれたんですが、ちょうど来る日がお盆と重なったとき、旦那が必ず「今茶色の猫が目の前を通り過ぎた」というのです。その頃にはもう1匹猫を飼ってはいましたが白黒のラブラドールでちゅちゅとは似ても似つかないのであれ?と不思議に思っていました。
それから少し過ぎてある日アルバムを旦那と見ていたらちょうどちゅちゅの写真がありそれを見た旦那が「いつもお盆に見る猫この子だよ」と言ったのです。
それを聞いたとき最初に思ったのは「あぁ、やっぱり」でした。
あれだけ心配をかけたのできっと元気にしてるか気になって見に来てくれたのでしょう。それから毎年来てくれます。
年月が経ち、結婚して子どももできたので母親になった私がこれ以上心配かけちゃいけないと毎年来てくれるちゅちゅに「ありがとう。大丈夫だよ。」と伝えています。
それでも絶対来てくれるから嬉しい反面、それだけ心配を掛けてしまったんだなと申し訳ない気持ちです。いつか自分が寿命でなくなったら真っ先にちゅちゅにお礼を言いに行きたいと思っています。
どうか天国でも楽しく暮らせていますように。