大学生の時に、おじいちゃんが死んだ。なかなか実感のわかなかった僕だったが、亡くなって四十九日が過ぎたあたりで、夢でおじいちゃんに再会する。その時初めて僕はおじいちゃんがこの世にいないこと、もう会えないことを実感し、おじいちゃんの死を受け入れた。
僕が大学生の頃におじいちゃんが亡くなった
感覚としては、突然死んでしまったというような感覚だった。両親がお見舞いに行くと言って家を出て、その30分後おじいちゃんが亡くなったのだという。
タイミングが良いのかどうかは定かではないが、父親は親の死に目にあえたのでそれだけは良かったんじゃないかとぼんやり思った。それに、おじいちゃんの病状は深刻で、後半は寝たきりなうえ自分がなぜ病院にいるのか、点滴をしているのかさえ分からなかったという。誤って点滴を抜かないようにとベッドに縛り付けられて苦しい思いをしていたらしい。
最後の方は、もう家族の顔も覚えていなくて、妹のことを死んだ娘(僕から見て伯母)だと勘違いして話しかけていたらしく、その時は流石の妹もショックで泣いていた。「やっと楽になったんだね」と妹は悲しみながらも、ホッとしたような何とも言えない顔をしていた。
一方の僕はおじいちゃんの死を悲しみはしたが、泣かなかったと思う。別におじいちゃんが嫌いだったわけではない。ただなんとなく、実感がわかず、そうしているうちに葬式やら何やらが淡々と進んでいったのだ。
おじいちゃんが死んでから、ちょうど四十九日が過ぎたあたりだったと思う。僕は夢を見た。前半は滅茶苦茶な夢で内容をよく覚えていないけれど、最後の方は鮮明だった。僕は黙って、小学生のとき通っていた通学路を歩いていた。
学校方面から自宅へと向かっていた。自宅について、玄関から家の中に入ると違和感を覚えた。我が家は、玄関から入ってすぐのところに台所があるのだが、台所を見れば料理をした痕跡があった。
出しっぱなしの包丁とまな板を目にした瞬間
不思議なことに「あ、おじいちゃん帰ってきた」と思ったのである。台所の隣にある居間へ行くと、思った通りおじいちゃんが食卓で晩酌をしていた。おばあちゃんはテレビを見ていた。
「え、帰ってきたの?」
というとおじいちゃんはうんとそっけなく、大好きなお酒を飲んでいた。
その瞬間、不思議とおじいちゃんが死んだことを実感した。胸の深い部分に、その事実がストンっと音を立てて落ちてきたのだ。それからはもう、おじいちゃんにすがるように抱きついた。夢の中でもわかるほどボロボロ泣いた。
「お前、そんなおっきい体して泣くんじゃないよ」
おじいちゃんはそう言った。
僕は咄嗟に、おじいちゃんに感謝を伝えなきゃと思った。
一家の大黒柱として、10代の頃から働き続けたおじいちゃん。共働きの僕や兄妹を支えてくれた大切な人に何か言わねばと口を開いた。しかし、思ったように声が出ない。失声症の人みたいに喉が苦しく、なかなか言葉が出てこなかった。精一杯の力を振り絞り、僕は
「ありがとう」
たった一言を言い終えたと同時に、目が覚めた。
その日の朝は、ボロボロ泣き出すところから始まり、みっともないが声を出して泣いてしまった。
夢とは言え、死に目に会えなかったおじいちゃんに、一言ありがとうと言えることができてよかったと今でも思う。
おじいちゃんとの再会は、それで終わりかと思われたがそうじゃなかった。
その数週間後に、また、おじいちゃんに夢の中で会うことになる。
その夢もやっぱり実家だったが、じいちゃんが仏間にいて、何やらいとこ数人と話をしているのを発見した。僕は思わず、
「あれ、また来たの?」
と取りようによっては薄情なセリフを吐く。するとおじいちゃんは、いたって真面目に、
「春先は混んでいるから順番待ち」
と言った。
あぁ・・・そういえばおじいちゃんが亡くなったのは四月だったなぁ、と納得した僕であった。
残念ながら、おじいちゃんと夢であったのはこれが最後で、おじいちゃんはもう順番待ちを終えて旅立ったのだろう。でも、もしかしたら、またひょっこりお盆くらいには現れたりするんじゃないかなぁ・・・と期待してしまう僕であった。