僕が中学時代に初めて幽霊をみた時の話です。友達に注意しろと言われた、被覆室にでる女性の例の話。僕は霊感はなかったけれども、その時は見ることができた。数年後友達に聞くと、曰く「タイミングさえ合えば、普段見えない人でも見えるよ」と言われた。
僕の中学には文化祭の目玉行事として『合唱コンクール』なるものがりました
各学年に2クラス、1クラス30人弱の生徒たちがクラスの絆を深めるべくして続いている、全学年対抗の伝統行事です。
ご多分に漏れず、我が校は全校生徒の人数が少なく、地方のド田舎にある中学校のモデルみたいな学校でした。しかし、うちの学校は地元屈指の真面目な学校として有名で、合唱部はないながらも合唱のレベルが高いと評価されるほどでした。これだけ言うと、なんだか自慢みたいですね。
在学中の音楽の先生が言っていたことなので、本当かどうかは定かではありませんが、当時の僕等はそれを本当のことだと信じ込みコンクールの練習に力を注いでいました。
文化祭は毎年10月に行われていました。コンクールの練習が始まるのは、夏休み前の6月後半からでした。その時、僕は中学三年生で、クラスのみんなは最後のコンクールくらい優勝したいと息巻いていました。
練習場所は、ピアノがある場所が主で、音楽室と体育館、各学年ホールに1台づつあり、何故か音楽室の隣の被覆室にも一台ピアノがありました。
夏休みの前日、僕のクラスは音楽室と家庭科室で練習をしていました。音楽室では女子生徒が、被覆室では男子生徒が練習をしていました。
僕は平気なふりをしていたけれど、本当は被覆室で練習をしたくはありませんでした。なぜなら、以前霊感のある友達に「被覆室は必要最低限行かない方がいいよ」と言われていたからです。
その友人曰く、うちの学校は古いから霊が沢山住み着いていて、その中でも一二を争うくらい強い霊が被覆室にいるんだそうです。友人は吹奏楽部で度々そこを使うそうなのですが、日暮れになると必ずその霊はやって来て邪魔をするそうです。
当時の僕は(今もそうだが)とっても怖がりでした。ジェットコースターは大丈夫だけれど、そうした目に見えない類のものがどうしてもダメでした。
幸い友人のように見えるわけではなかったのですが
それでも僕は被覆室がどうしようもなく怖かったのです。しかし、いざピアノを囲んでの歌の練習が始まると恐怖は頭の隅に押しやられてしまいました。
恥ずかしながら、僕は良く口の開きが悪いとか、声が小さいとか注意をされる謂わば問題児だったので、歌うことにはそれなりに懸命でした。サボっているというレッテルだけは貼られたくはありませんでしたので、半ば酸欠気味になりながら練習に参加していました。
半ば酸欠気味、今思えばその時点でおかしいのです。実際歌っていて酸欠になる人なんてそうそういません。しかし、その日の僕は、本当に酸欠になったかのようでした。歌っている途中、意識がなくなり目の前が真っ白になったのです。
僕は数秒間意識を失い、気づいたときには、ピアノと逆の方向を向いていました。出入り口のドアと向き合っていたのです。そして、ガラス越しにじっと見つめ合っていました。
ガラス越しの僕自身と。しかし、気づいたのです、自分じゃないと。
僕は、見ず知らずの女性とドア越しに向かい合い見つめ合っていました。
我に返ったあと僕の行動はとてつもなく早く、すぐさま何事もなく目をそらしピアノの方を向いて途中から歌い続けたのです。
誰にも気づかれていませんでした。隣に立っていた友人にも、全く。今思えば不思議でしょうがないのですが、これが僕のはじめての心霊体験でした。
ただし、僕はこのことを誰にも言いませんでした。正確には、怖くて言えなかった。口に出すことで、当時の恐怖が倍になると思ったからです。
時は過ぎて、僕は中学を卒業し、高校生になりました。ある時、霊感のある友人と電車でばったり出くわしました。
僕はふと、あの日のことを思いだして言いました。
「ねぇ、前に被覆室に出るって話教えてくれただろ?」
それを聞いた友人は
「うん、あの女の人ね。センター分けの、ほりの深い人」
と言ったのです。
あぁ、やっぱりと僕はその時、遅いながらの答え合わせをしました。やっぱりあれがそうだったんだと。
「お前見えたんだね。仕方ないよ、あの人学校では一二を争うくらいはっきり見える人だったし。タイミングさえ合えば、普段見えない人でも見えるからさ」
友人は言いました。
タイミングさえ合えば・・・という友人の言葉は今でも僕の胸に刺さっています。このあと、僕は、もう一体男の人の生首の霊見ることになるのですが、その時もタイミングがあった結果なんだろうなぁと思いました。ただ、僕の中での掟は、霊を見つけても目を合わせないこと、気づかないふりをすることと決めています。みなさんも、気をつけてくださいね。