曾祖母を亡くしてからいろいろな霊の気配を感じるようになった私は、9歳の夏、幼馴染を事故で亡くしました。亡くなってしまう1週間前に何かを予告するかのような体験をしました。その亡くなった後にも体験をしました。
曾祖母を5歳の時に亡くした私は、その頃から霊を感じることが多くなりました。
そんな私には幼稚園生の時から一緒にピアノを習っている友達が4人いました。その中の1人の子の話です。
その子はあまり話すことが得意ではなく、いつも私たちが楽しく話していたりお母さんたちが話しているのを見てニコニコしているような子でした。
皆はあまりその子の事を気にかけたりはしていなかったのですが、私はどうしても気になってしまいよく話しかけていました。
もちろん話すのが苦手な子と言うわけではなく、ただ自分から話したりはしない子だったというだけでした。
ピアノは集団でのレッスンでした。8歳の時試験があり、それに受からなくては次のステップに進めませんでした。
私は受かり他の3人も受かったのだと思っていました。ですが1人だけ受かりませんでした。受からなかったのは静かなあの子です。
受からなかったという事は、一緒にレッスンができなくなりその子とは違うグループになっていまいました。
凄く凄く気になって、元気にしているかなとそわそわしていました。
レッスン後、廊下で見かけたときなどは声をかけてたくさん話しもしました。
そんなある日、私はピアノの習い事の他にも珠算も習っていました。
9歳の1月、いつものように珠算教室へ母に車で連れて行ってもらっている時です。
いつも通る道が封鎖されており迂回しなくてはならなくなっていました。滅多に通らない道を通ることになり、うだうだぼやいていました。
母の選んだ迂回ルートには、ピアノで過去に一緒だった静かなあの子の家がある道です。
最近は個人のピアノに移動になってしまったので、前より見かけなくなっていたので母とその子は元気かなあ~なんて言っていました。
これがまさか虫の知らせだったとはこの時全くわかりませんでした。
その迂回ルートを通った時の日の夜、その静かでいつも気になってしょうがなかったニコニコしたあの子は部屋が火事になり心肺停止になってしまいました。
その後、1週間でその子は亡くなりました。
迂回ルートを通った日から1週間が過ぎた日。学校から帰った私は家に着いたとき、母の眉間にしわがたくさん寄っているのを見つけ話しかけました。
母は「悲しいお知らせがあります。○○ちゃんが火事で死んでしまったって…」
私は意味が分かりませんでした。あんなに一緒に喋ってきた幼馴染だったあの子がもうこの世にはいないなんて考えられませんでした。
21年生きてきて1番泣いたのはこの日だけです。ティッシュの紙が全部無くなってもずっと泣いていました。
お葬式に仲の良かったピアノの友達3人で最後尾に並んで棺の中のあの子を見ました。いつものようにニコニコと穏やかな表情で眠ったまま動きませんでした。
3人でその場から動けず大泣きしました。
その後21歳になった今でも定期的に見ます。その子のくれた最後のお土産をいつもお守りに持ち歩いています。
入学式や卒業式、成人式にはそのお土産でもらったキーホルダーを手で握ったまま参加しています。
もし生きていたら同じ場所にいたのに、その子は9歳のままなのかと思うと悲しいですが、このキーホルダーは一生肌身離さず一緒に歳を重ねようと決心しています。
霊までは見ませんが、あの虫の知らせをあんなに感じたことは初めてでした。
こういう事ってあるんだなと思います。夢にも出てくるあの子はきっと偶然ではなく、忘れないでね!と私に言いに来てくれているのだと思います。
忘れるわけがないです。あんなに仲が良かったのですから。また話がしたいな、とふと思います。
私がこの生涯を終えたときは、あの子に会いに行って何があったのか全部話をしたいです。また笑ってくれるあの笑顔が見たいです。