これは、私が小学校2年生のときに体験した話です。私の家系は親族が多く、ことある事に集まるくらいには交流がありました。ですが、当時7才の私はたった一人、ひいおばあちゃんにだけは会ったことがありませんでした。
会ったことがないどころか話にも聞いたことがなかったものですから、正直ひいおばあちゃんという存在について考えたこともなかったです。
しかしある出来事をきっかけに、その存在を意識するようになりました。
この年の夏休み、わたしは肺炎にかかりました。元々からだが弱いため高熱を出し呼吸はゼーゼーと乱れ、普通よりもかなり症状が重かったそうです。やむを得ず、一時入院をすることとなりました。
苦しみの中眠っている時に、夢を見ました。見知らぬおばあちゃんが立っていて、こちらに来たかと思うと、微笑みながら私を抱きしめ、そのままスっと消えていきました。とても夢とは思えないようなあの柔らかな温もりを、今でも鮮明に覚えています。
目が覚めると私の熱はすっかり下がり、症状はかなり落ち着いていました。
わたしはあの夢のことが気にかかり、小学生の小さな頭で精一杯考えました。会ったことはないけれど誰かに似ているような、何か自分に関係があるような。そう、どことなく父の顔に似ていることに、退院直前に気がついたのです。わたしはすぐに、唯一会ったことのない親戚、ひいおばあちゃんを思い浮かべました。
私は病院を出てすぐ父に「ひいおばあちゃんの写真を見せて欲しい」と頼みました。すると父は少し驚いた顔をして、それから優しく微笑んで言いました。
「今から会いに行くんだよ」と。私たち家族はその足で、ひいおばあちゃんの元へ向かったのです。
着いた場所はひいおばあちゃんのお葬式場でした。享年98歳。長生きでしたがからだは弱く、最後は肺炎で息を引き取ったそうです。
お葬式が終わったあと、はじめてひいおばあちゃんの写真を見せてもらいました。あたたかい微笑みを浮かべる彼女は、紛れもなくあの時の夢に出てきたおばあちゃんでした。
その写真が撮られた場所は病室で、ひいおばあちゃんが少し前に肺炎とはまた違った病気で長期入院した時のものだと父に言われました。
その病室の壁には、いくつもの写真が貼られていました。
小さな赤ちゃんを抱くひいおばあちゃんの姿や、わたしが幼稚園に入学した時の写真。どれもこれも、わたしを写した写真ばかりでした。話によると、彼女は自宅でもこうしてわたしの写真を貼って過ごしていたそうです。
このことを聞いて、ほとんど会ったことがなかったひいおばあちゃんが、私の成長を喜び、遠くから見守ってくれていてくれたことを知りました。
今になって考えてみると、あの時ひいおばあちゃんが夢に出てきたのは、危険な状態だったわたしに残りの力を分け与えようと、魂の姿になって会いに来てくれたという事だったのかなと思います。
私はあの日の不思議であたたかい体験を、一生忘れません。