曾祖母は身体にガンができてしまい入院していました。その後数か月後、私が幼稚園生だったころに曾祖母が亡くなってしまいました。亡くなった後から私は霊をちょくちょく見るようになり、曾祖母の姿も何度か見たというお話です。
私がまだ5歳の頃のお話です。まだ幼稚園生でした。私の住んでいた家と母の実家は隣の市だったこともあり、しょっちゅう遊びに行っていました。
祖母の家の敷地内には、もう一軒の平屋が建っていました。そこに私の曾祖母は住んでいました。
曽祖父は私が生まれる前に亡くなったため、会ったことも声を聞いたこともありませんでした。曾祖母は元気にその平屋に住んでいました。
5歳の私は、曾祖母の優しさが大好きでよく行っていました。そんなある日、体調を崩し病院へ行ったらガンが見つかりました。
その後私はどうにか元気になってほしくて、たくさんのプレゼントをしました。
工作が大好きな私は、まず折り紙で千羽鶴を母と一緒に折り曾祖母にプレゼントしに行きました。
曾祖母は泣いて喜んでくれました。その喜んでくれたのが嬉しくて会うたびに毎回毎回工作してはプレゼントをしていました。
そんなある日、私はでんでん太鼓を自作し曾祖母にプレゼントしました。いつものように喜んでくれたのですが、いつもよりたくさん泣いていました。
その頃の私はなんでそんなに泣いているのかがわかりませんでした。でも、ありがとうねと一言伝えて頭を撫でてくれました。
その時私は次のプレゼントは何がいいかな~と悩んでいました。
5歳の12月。祖母の家でクリスマスケーキを作っている時です。病院から電話が来ました。曾祖母が危篤という連絡です。
私にはよくわからなかったのでずっとケーキを作っていました。
皆より後に病院に連れて行かれた時、曾祖母はもう亡くなっていました。
悲しくて大泣きしました。クリスマスケーキを見せたくて大泣きしました。
その後葬儀をとりおこない、布団で静かに眠る曾祖母を眺めていました。
いつも頭を撫でてくれたあの曾祖母はいない。その悲しさからまた涙が出ました。
いつもは撫でてもらってばかりだったので、最初で最期でしたが頭をたくさんなでなでしました。
棺に中の曾祖母に皆はお花をたくさん入れていました。私は前にプレゼントしたでんでん太鼓と新しく作ったでんでん太鼓を入れ、最期のプレゼントをしました。
全て終わるもとある私の家に戻った時です。家には誰にもいないはずなのに一部だけ温度のある場所がありました。12月の誰もいない家に温かさがあるのはおかしな話です。
私は部屋の電気を付けてその温度のある部分を見ました。
いつも着ていたチェック柄のパジャマを身に纏った曾祖母でした。
私にはしっかり見えたので母にそれはそれは大きい声で
「おばあちゃんそこにいる!!いるよ!!!手を振ってるよ!!」
と叫び、私は嬉しくなり手を振りかえした時もっと嬉しい事がありました。
最期にプレゼントしたでんでん太鼓を片手に持っていたのです。
やっぱり気に入ってくれたんだな~と思いました。
その後、すぐ居なくなってしまい温度もなくなってしまいました。
今は曾祖母の姿は見かけませんが、亡くなった1年間くらいはよく家のリビングに来ていました。