その事故は1996年に起こりました。通学・通勤ラッシュの時間帯にトンネルの岩盤が崩れ落ち、救助も困難を極め、最終的には崩落した岩盤を発破し閉じ込められた方々を救出しましたが、結果は残念ながら全員助かりませんでした。
そんな痛ましい事故のニュースは連日報道され、記憶に新しい方も多いと思います。
1度目の発破をした時に崩落した岩盤から人の顔が浮かび上がってきた、などと言う情報も出回りました。
今回のお話は、その崩落事故よりずっと前、まだ昭和の頃のお話です。
我が家は親戚同士とても仲が良く、休みの日ともなると、みんなでドライブや旅行に出かけることが結構ありました。
夫婦二人暮らしの叔父は、親戚みんなで出かけるため、当時はまだ珍しかったワンボックスカーを購入したほどです。
ワンボックスカーを購入してからますますお出かけの頻度は増え、あちこちに行った思い出がありますが、私の住む地域は例の崩落したトンネル付近の市町村だったので、よくそこを通っていました。
そのトンネルを通るたび、叔母は「トンネルの天井に顔がある」と言うのです。
そのあたり一帯は地形の関係からトンネルの数が多く、子供だった私はどれが何という名前のトンネルかまではわかりませんでしたが、毎回毎回叔母がそういうので「おばけトンネル」と名前をつけてトンネルを通るときは息を止めないと呪われるだの目をつぶらないと呪われるだの、いかにも子供が考えそうなことをして遊んでいました。
それからしばらくしてトンネル崩落事故が発生したのです。
第一報を聞いた母は、叔母は初めは天井にあるシミを「顔」と表現していたのに、時が経つにつれ「仏様ようだ」「険しい顔をした人だ」とどんどん見え方が変わっていき、信じていなかった母も流石に気味悪く感じていたということを私に教えてくれました。
もちろん叔母は認知症や妄想癖のある人ではありません。全くの健常人です。
トンネル崩落事故の数週間前、私は部活があったので、大人たちだけでそちらの方面に出かけようという計画が上がっていたのですが、叔母は断固拒否したそうです。その理由は「トンネルの顔がどんどん苦しそうに変わっているからそのルートは通りたくない」というものでした。
子供だったので、天井のシミが本当に顔に見えたのかはわかりませんでした。
崩落前のトンネルの天井に顔が浮き上がっていることを目撃した方は他にいらっしゃいますでしょうか。
事故からかなりの時間が経過し、今では新しいトンネルが開通しましたが、今はただ、事故で犠牲になった方々のご冥福をお祈りするばかりです。