呪いで悲惨な事故に コックリさんをやった私が経験した恐怖の体験談

恐怖の心霊体験談

中学2年生の夏頃です。クラスでコックリさんが流行しました。その後に起こった悲惨な事故、そしてコックリさんの呪いから逃れるために私がどんな方法をとったか、今回戒めの意味も込めて、その当時のエピソードをお話ししたいと思います。

クラス内でコックリさんが流行しました

中学2年の夏休み前の頃です。その当時は他愛もない遊びの一つとしてやっていたわけです。

「コックリさん」というのは降霊術の一つです。10円玉と紙を使って、様々な事をコックリさんに聞いていきます。一度は経験した人も多いのではないでしょうか。

話は変わりますが、私は、山間部の生まれです。中学生までそこで育ちました。学校の付近には、日露戦争で亡くなった方を慰霊するための塔が立っています。私の育った地域では、太平洋戦争で亡くなった人よりも日露戦争で亡くなった人の方が多いのです。

これは、後に墓石などの碑文を見るようになってわかった事です。今、思えばコックリさんをやった事で、日露戦争で亡くなった方の安らかな眠りを覚ましてしまったのかも知れません。

その事故は夏休みの部活から帰る時に起こりました

私の友人が自転車に乗っている時トラックと正面衝突し、数日後死亡してしまったのです。クラスで一番熱心にコックリさんをやっていた友人でした。幼稚園も小学校も一緒でした。ついこの間まで笑いあっていた友人がもうこの世に存在しない、この事実に私は呆然としてしまいました。

そのショックも冷めやらぬある日の事です。今度はもう一人の友人がバイクに衝突され、車道の外に跳ね飛ばされてしまいました。その友人も交通事故で亡くなった友人と、よく一緒にコックリさんをやっていました。

跳ね飛ばされて落ちた所がつた蔓の生い茂る藪の中だったので無傷で済んだのですが、自転車は激しく変形していました。怪我がなかったのは、友人の運が強かったからでしょう。

友人たちに降りかかる災難に恐怖を感じた私は、父に事情を話しました。父は苦々しい顔をしながら、私の話を聞いていました。話を聞き終わると、父は二度とコックリさんをやってはならないと、私に釘を刺しました。私もその事に異論はありません。二つ返事で「はい」と答えました。

それから父は「九字護身法」について教えてくれました

「九字護身法」というのは、「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」と唱えながら手刀を切る事によって、自分の身を守る護身法です。

「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」とは「臨める兵、闘う者、皆 陣烈れて、前に在り」という意味です。敵を破る呪文として伝わっています。

臨を唱える時横線を、兵を唱える時縦線をという風に交互に線を引く事によって陣を張る事ができます。陣は、四行三列の升のような形になります。しかし、父は私に対して「九字護身法」を、人や霊に対して使う事を固く戒めました。この理由については後で述べたいと思います。

次に、父はA6版のノートを手に取ると、紙片に一筆書きで五芒星を書き、私に手渡しました。五芒星とは、陰陽道で魔除けの呪符として伝えられている印です。

この紙片を財布や生徒手帳に入れるなどして、しばらく持っているように言われました。これを持っている事で、星型の陣を敷く事ができます。イメージする時は意識を星の中心に置くようにします。

次に教えられたのは般若心経の真言でした

「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。」の部分です。この呪文を、事ある毎に唱えるように言われました。

この真言は「ぎゃていぎゃてい、はらぎゃてい、はらそうぎゃてい、ぼじそわか」と読みます。意味は、「行った者よ、行った者よ、彼岸に行った者よ、向かい岸へ完全に行った者こそ、悟った者である、幸いあれ」です。

般若心経と言えば、「耳なし芳一」でご存知の方も多いと思います。身体に262文字の般若心経を写経する事で、夜な夜な訪れる平家の怨霊から、芳一を守りました。このように般若心経は、古来より魔除けの呪文として信仰されてきました。父もその事を知っており、私に教えてくれたのでしょう。

さて九字護身法と般若心経の違いについて説明しておきます。九字護身法とは、呪文の意味からわかる通り、敵を破る呪文です。人や霊に対してこの呪文を使う事は危険だと言われています。攻撃系の呪文なので、「倍返し」を受ける可能性があるのです。

いわゆる「人を呪わば穴二つ」の状態になってしまいます

父が私に、九字護身法の使用を禁じたのは、このような呪文の性質があったからです。もし、九字を切るとすれば、災害や突発的な事故の時のみでしょう。

それに対し、般若心経と言う呪文(お経)は今風に言えば、バリアのようなものです。相手の攻撃に対し、反撃する種類のものではありません。もちろん、邪念を持って唱えないという事が前提条件です。

父から教わった事を実行した結果、身の周りの事故はピタリと止みました。その後、何事も無く中学を卒業し希望の高校へ進学する事が出来ました。

しかし、幼稚園の頃から付き合いのある友人を失った事に変わりはありません。今でも彼が夢の中に出てくる事があります。息子さんを失った親御さんの気持ちを思うと、いたたまれない気持ちになります。この気持ちが消える事は一生ないでしょう。

コックリさんと友人の死に因果関係は無いのかもしれません。しかし、「触らぬ神に祟り無し」です。学校などでコックリさんを遊びとして行うような行為は、強く慎まなければなりません。取り返しのつかない事が起こってからでは遅いのです。